百物語の最後に現れると伝わる正体不明の妖怪
青行燈は江戸時代以降の百物語ブームとともに語られるようになった怪異です。
百物語とは新月の晩に数人で集まり行う怪談会です。行燈に灯した百の灯心を怪談を語り終えるごとに一本、また一本と消していく肝試しのようなものです。元は武家の若者らが宿直(とのい)の際、精神修養の一環として行なっていました。いつしか、庶民の間でも広く行われるようになりました。

この怪談会で用いる行燈は周囲を青い紙で覆い、別室に灯されていました。話し終えた人は手探りで別室に行き、行燈の灯心を抜いていくという決まりでした。次第に薄暗くなっていき恐怖が高まる中、百話目が語られ完全な暗闇が訪れた時に現れる妖怪が青行燈です。

文献に見る青行燈
青行燈について詳しい解説が見られるのは、安永10年(1781年)に鳥山石燕先生が刊行した『今昔百鬼拾遺』です。中の巻・霧において以下のように紹介されています。
燈きえんとして又あきらかに、影憧々としてくらき時、青行灯といへるものあらはるる事ありと云。むかしより百物語をなすものは、青き紙にて行灯をはる也。昏夜に鬼を談ずる事なかれ。鬼を談ずれば、怪いたるといへり
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説明とともに描かれているのは行燈の向こうに立つ鬼のような顔をした女の姿です。乱れた黒髪は肩よりも長く頭からは一対の角が生えています。歯が黒く染め抜かれているのは何か理由があるのか、詳細は不明です。
また、宝暦年間(1751〜1764年)に平秩 東作(へづつ とうさく)先生によりまとめられた怪談集『怪談 老の杖』の巻之四においては厩橋藩(現在の群馬県前橋市)にて行われた百物語の様子とそこで現れた怪異について詳しく記述されています。この百物語では八十三話目を語り終えたところ、白装束の若い女性の首吊りが現れ、夜が明けても消えなかったと伝わっています。
一般に百物語は真に怪異が起こるのを避けるため、九十九話で話を止めることが多かったようですが、語り終える前に妖怪が出てくる場合もあったんですね。
より古い記録になると、永宝5年(1677年)に刊行された『宿直草』には蜘蛛の怪異として紹介されているようです。
青行燈の正体について
青行燈の正体については、明確に記述された文献が存在しません。上記にあげた資料のように、語られる話によって現れる妖怪や生じる異変は異なっています。このことから、特定の妖怪を指すというよりも、百物語を行うことで現れるかもしれない、「得体のしれないもの」への恐れが妖怪として実体をもったものといえるかもしれません。
有名な怪談「牛の首」に共通の怖さがあるように感じられます。この怪談は「語ると命を落とす。話を聞いても命を落とす」と伝えられており、実際にどんな話なのかは伝わっていません。けれど、分からないからこそ、話の中身を想像して恐怖心を募らせることになってしまいます。同様に青行燈は「百物語を語ることで、どんなことが起こるのだろう」という人間の想像力によって生み出された妖怪なのかもしれませんね。
メディア作品に見る青行燈
百物語をすると現れるという特性上、怪異譚を収集する妖怪として特殊な活躍の仕方をしています。
原作:真倉 翔先生、漫画:岡野 剛先生による『地獄先生ぬ〜べ〜』においては、「百物語の巻」に登場します。百物語による霊的エネルギーで鬼門を開こうとするのですが、その方法が巧妙であと少しで鬼門が開いてしまうところでした。青行燈を小鬼として描写しているのも面白かったですね。ちなみに、この話は作品の100話目に位置しています。ちょうど100話目に百物語の話を掲載するなど作者の遊び心が感じられますよね。
また、椎橋 寛先生による『ぬらりひょんの孫』では、主人公:奴良 リクオが敵対する百物語組の妖怪として登場します。群衆の畏を集めて動くカラクリ人形のような妖怪でしたが、人々の恐怖心を煽り、その恐れの感情を力に変えるというキャラクターは青行燈という妖怪の特性を生かした設定ですね。
図録データ
力:1 実体はなく幽霊のような姿であったり蜘蛛の姿であったりする
知能:3 百物語の話によって現れるため人語は解すと思われる
大きさ:3 人間の姿で描かれることが多い
危険度:3 現れた際も不気味さはあるが命の危険などはない
特殊能力:3 身近な人物の自死を予言するような描写も
遭遇率:江戸時代中期から伝承の中にちらほらと登場する手順を踏めば現れる怪異
出現地域:東京都や群馬県など関東地方を中心に伝承
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