道で行き逢う人間に取り憑き飢餓感と無力感を与える妖怪
饑神は山道や峠で人に取り憑き、飢餓感により、動けなくする妖怪です。取り憑かれると空腹により動けなくなり、極度の疲労や手足が痺れたりする餓鬼憑きの一種とされ、ひどい場合はそのまま命を落とす恐ろしい妖怪です。姿は見えず取り憑かれた気配を感じるだけの場合もありますが、近江国甲賀の御斎峠では、ガリガリに痩せこけた体に異様に膨れた腹部と餓鬼のような見た目で伝えられています。
これらの記述は、柳田國男先生の『妖怪談義』にまとめられており、大和十津川(奈良県)、伊勢国から伊賀にかけて(三重県)、伊豫国(愛媛県)、熊野(和歌山県)と長崎県と西日本に多く伝わっていることがわかります。その呼称も地域によって異なり、「ダニ」、「ダリ」、「ダル」、「ダラシ」と呼ばれています。
各地に伝わる伝承の跡
この饑神は、近世の『妖怪談義』などには明確に名前が挙げられますが、江戸時代以前の妖怪絵巻や図録には登場しません。最も古い記述としては、同書に次のように記されています。
大和の方では又、宇陀郡室生寺の參詣路、佛隆寺阪の北表登り路中程に、ヒダル神のといつくといふ箇處のあることを、高田十郎氏の一人雜誌「なら」第二十七號の奧宇陀紀行にのせて居る。その難に遭つた者を見たので無いが、そこに文久三年に建てた供養塔があり、法界萬靈の文字の下に、十六字の偈と一首の歌が刻してある。
まこゝろに手向けたまへば淺はかの水も千ひろの海とこそなれ
摩尼山下 溪水津々 若供一杓 便是至仁
しかし、残念ながらこの供養塔は現在では確認できず、高田十郎氏の記述が事実か確かめることはできませんが、当時の人々に饑神に対する恐れや知見があったことを示しているといえます。なお、奈良県には「ひだる地蔵」と呼ばれる、饑神に行き逢わないことを祈願するための地蔵が2002年に建立されたそうです。同様の利益がある「柴折地蔵」と呼ばれる祠は高知県や兵庫県淡路島などに見られます。
また、熊野の大雲取山、小雲取山の間には「飢渇穴」、「餓鬼穴」と呼ばれる深い穴があり、この穴を覗くと必ず饑神に行き逢うとされました。口に木の葉を含み噛みながら歩くと難を逃れるとも言われています。ある条件を満たすことで必ず妖怪に出逢えるなんて、恐ろしいけれど興味深いですね。
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饑神の正体と行き合った際の対処法
さて、饑神の正体は、険しい山道を旅する途中に飢餓により命を落とした人の霊とされます。自分と同じ苦しみを次の人間に与えようとして飢餓を与える存在ということです。また、山に無遠慮に立ち入る人間を戒める山の神とみなす説もあるそうです。ただし、饑神という妖怪の性質について考えると同様の峠や難所に多く現れるため、山の神の怒りとしてみなすには矛盾があるかもしれません。
そのため、饑神の真の正体として、ハンガーノックが挙げられます。ハンガーノックとは激しい運動により、極度の低血糖状態に陥り、意識の低下や手足の痺れを起こす身体反応です。現代と異なり整備されていない山道を進むことは過酷だったことは想像に難くありません。急勾配の難所など特定の場所で疲労がピークに達する様子からこの妖怪が連想されたのかもしれません。
では、どのようにこの状態を解消するのでしょう。栄養学的な答えとしては糖質を含む食べ物を口にすること、休息を取ることにより体内の脂肪や筋肉からエネルギーを生成することが必要になります。実際に、各地に伝えられる饑神への対処方法として、弁当の残りを食べる、道端の草を食す、手のひらに米と書いて三度呑み込むなどが挙げられており、ハンガーノックの対処方法と重なりますね。
また、その他の説には火山性のガスなどが挙げられますが、饑神の出現地域と火山の分布は重なっておらず、この説も根拠に乏しいと言えるかもしれません。

メディア作品に見る饑神
水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」では2008年放送の「怒れる亡者たち!ヒダル神」において登場しました。食べ物を無駄にする人間に出会うと飢餓感を生じさせ、その仲間にしてしまうという「七人ミサキ」のような性質をもちました。野菜炒めのピーマンを残して饑神の仲間になりかけてしまう鬼太郎。いつものイメージとのギャップもあり少し可愛らしいですね。その後、テレビを介して日本全国に仲間を増やしていく様子が恐ろしかったです。
原作:真倉 翔先生、漫画:岡野 剛先生による『地獄先生ぬ〜べ〜』においては「餓鬼魂の巻」において似たような妖怪が登場し、取り憑かれた少年白戸秀一がガリガリに痩せてしまいます。残飯、理科室の標本、花壇の土と飢えから様々なものを口にしますが一向に飢餓感がおさまりません。
また、ゲーム「祇(クニツガミ)」にもボスの一体として登場します。空を舞う幽鬼のようなビジュアルで表現されており、新しい饑神像を創り出しています。
図録データ
力:2 明確に力が描写されていない(実体を持たない)
知能:3 行き逢う人間に「湯漬けを食ったか?」と問答する饑神もいる
大きさ:3 ガリガリに痩せた大人の姿で現れる
危険度:4 行き逢う人間を飢餓感に苛み、命を奪うこともある
特殊能力:3 人間の空腹感を増長させ意識を奪う
遭遇率:全国の山道など特定の場所で遭遇する
出現地域:奈良県、和歌山県など近畿地方を中心とした西日本全体
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